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肉と添加物は想像以上に恐ろしかった
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「食卓のお肉ができるまで」家畜を殺す人たち以上にひどい人間がいた
「食卓のお肉ができるまで」を見て私はよく動物を殺すような仕事ができるなと思ったものです。
仕事と思えばできないことはないと思っていましたが、果たして自分にこれができるかは想像がつきません。
しかし、恵まれない国に居て他に仕事がなくこれをしなければ生きてはいけない現状に立たされたら、できないこともないかとも感じます。人は狩をして生き長らえる暮らしもあるのですから・・・
殺さなくても良い地域に住んでいる人が食べる食材ではないですよね???
自分で殺すことも出来ないのに食べるだけ食べるってある意味卑怯ですよね???
それなのに動物は商売の道具にされている・・・

私は、動物に危害を与えられる人間はどのような心なのか考えてみた。
動物に痛みや感情などないと思っているからできるのか。
動物は人ほど痛みを感じないという人間に都合の良い頭脳をしているからできるのか。
利益や生活のためなら、できないことはないのか。
自分の不幸を腹いせの対象にしているのか。
理由はともあれ、仕事でしてる人達を攻めるのは筋違い。
動物を殺す仕事をしている人達に言わせればお前らが食うから俺らの仕事があるというだろう。
それは、事実で間違っていない。そうしたら、やはり食べる方が間違っているのだ。

「食卓のお肉ができるまで」で肉食の裏側を知ったとはいえ、これはほんの一部の現実であろう。
あの現場で働いている人達はむごいようだが、消費者の代わりに働いているのであって、その現実も知らずに大量に消費し、殺した肉を食べている人間が相当ひどいということ。
自分が手を下していないし嫌な現実は忘れ、美味しいものさえ食べられればいいじゃないかという考えを見直そうではありませんか。

事実を知った上で肉をいただくということはあの殺しを、育て方を認め、賛成し、協力しているのだということを忘れないでください。
口にした時点で手を下したも同然です。口にした時に苦しんでいった動物を思い浮かべてください。
肉をいただくということはそういうことなのです。
肉には自分と同じように命があったものだと思い食さないと駄目なのです。
パンなどと同じように無感情でいただいてはいけないのです。
大量に生産された家畜にも性格があり個性もあったであろう、その子の肉体はかけがえのないもので、もう二度と同じ命は生まれないのです。
もの言えぬ動物の叫びに耳を、心を傾けることをどうか忘れないでください。
そして、これでいいのかと自問し続けてほしい。


ものすごく残酷な生涯を過ごし死んでいく動物が居てることを忘れないでください。





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